2009年

6月

21日

性暴力ゲーム問題を企画屋的発想で考えてみる

性暴力の表現があるゲームの規制に関して、最近たくさんの議論が行われています。発端はイリュージョンというアダルトPCゲームメーカーが作ったあるゲームが、大手オンラインショップのアマゾンを通じてアメリカで販売されてしまったことによるものです。

イリュージョンは国内の業界団体の倫理規制にのっとって、国内でしか販売していませんでしたが、個人でアメリカのアマゾンに出品した人がいたことで問題になりました。問題にしたのはイクオリティ・ナウ(Equality Now)という国際的な人権保護団体。女性の性の尊厳を守る活動を積極的に行っている団体です。

既に200以上のメーカーが加入する業界団体のコンピュータソフトウェア倫理機構は、性暴力があるゲームソフトの製造や販売を禁止する自主規制を決定しています。しかしいまだこの問題に関して、性差別、あるいは表現の自由、人権問題といった角度で様々な人が取り上げ、自分の考えを示しています。


そういった難しい議論、何が正しいのかということはここでは横におきまして、すこしドライに、問題を解決するにはどんなことが考えられるか、企画屋さん的な発想でお話してみたいと思います。

 

 

問題に取り組む前に確認すべきこと

 

まず、問題について考える前に整理しておかなければいけないことが2点あります。


1つ目 当事者は誰なのか。

これは、はっきりしておきたいのですが、この問題にイクオリティ・ナウはあまり関係ありません。意見を突きつけたのがイクオリティ・ナウなので、この人たちを説得しなきゃいけないような気分になりがちですが、この人達は明らかに部外者ですね。イクオリティ・ナウの人たちを納得させたり、理解を求めたりしようとすると話がずれていきます。あちらにはあちらの思惑や目的がありますから。それはそちらで勝手にやっていただいて、貴重なご意見だけはありがたく賜ります、ということですね。

 

また、メーカーのイリュージョンや、業界団体のコンピュータソフトウェア倫理機構を中心に考えることはできません。彼らは重要な関係者ですが、メーカーさんを中心に考えると、どうやってアダルトゲームの商売を守るか、という視点でとまってしまいます。

 

当事者は、私たち日本人です。私たちが日本の国を誰しも平和で楽しく幸せに暮らせる国にする、という観点で勧めるなら、考える価値があります。


2つ目 目的は何か。

性暴力ゲームの規制というのは、1つの手段であっても、目的ではないということを確認しておく必要があります。目的は、

性の尊厳を守ること。性犯罪を減らすこと。

ぐらいが妥当でしょうか。あんまり難しい話ではなく、レイプや性暴力は駄目ですよと皆が分かって、実際にしない、というシンプルな目的ですね。性暴力ゲーム規制という手段を目的に掲げてしまうと、争いが起こりますが、性の尊厳を守る、性犯罪を減らす、そういうことを目的にする限りは、性暴力のゲームを作っているメーカーも、それを購入しているユーザーも、異論はないはずです。


性暴力マーケティング

相手と目的がはっきりしたところで、手段の検討に入ります。今実際に行われようとしている手段は、性暴力ゲームの製造や販売の禁止といった業界団体の自主規制です。これはもちろん、メーカーさんたちにとっては色んな事情が絡んだ上での苦渋の選択でしょうが、上記のような目的から考えた場合には、必ずしも良い手ではないかもしれません。

というのも、もし本当に性暴力に興味のある人が性暴力のゲームを購入し、実際の性暴力を犯す可能性があるとするなら、性暴力のゲームを規制してなくしてしまうことは、性暴力に興味がある人にピンポイントでアクセスする手段を失うからですね。マーケティングが効かなくなる、というわけです。

規制して性暴力ゲームをなくしたら、性暴力に興味がある人がいなくなる、というのであればよいのですが、それはちょっと難しいでしょう。おそらくは闇に潜って、こちらの目の届かないところにいくだけです。そうなれば、彼らへ直接アクセスする手段はなくなります。


性暴力ゲームに関わる人の手で性暴力をなくす


では、より建設的な手段とはなんでしょうか。僕がオススメするのは、性暴力ゲームに関わるメーカーで現実の性暴力問題に取り組むということです。

もともとですね、問題になったゲームでは、起動するときちんと警告が出るようになっていました。そんなことをしっかり報道してくれるところは少ないので知らない人も多いかと思いますが、ゲーム中の行為が犯罪になる場合があるという内容の文章が表示されます。

これをより拡大させて、ゲーム内で行われたことの模倣に対する注意だけではなく、あらゆる性差別、性暴力、性犯罪はいけないことだと、啓蒙していく。しかも、大々的にです。個人的にはあらゆる性暴力ゲームおいて、パッケージ半分くらいの面積を性犯罪に対する警告に使ってもいいのではないかと思います。

性暴力の撲滅という命題を考えた時に、性暴力ゲームを発売しているメーカーほど、性暴力のゲームをプレイする人達にアクセスしやすく、また真剣に取り組む理由をもつ人達はいません。なんだか矛盾しているように思えるかもしれませんが、性暴力ゲームを通して得たお金で、性暴力に興味のある人達に対して、一般の人の目には触れない形で啓蒙活動を行うというのは、悪くない構図です。

何なら、メーカーからお金を集めて、人権保護活動に取り組んだっていいぐらいだと思います。トヨタが環境問題に対してたくさんお金をかけて取り組んでいくのと同じですね。企業と社会との利害が一致するということが重要ではないかと考えます。


何かよく分からない大きなものに流されないように

いかがでしたでしょうか。この話は本当に色んな意見があるので、何を言ってるんだ、もっとこうするべきだ、という方もたくさんいるのではないかと思います。僕がお話したのは、例えばこんなことも考えられるよ、というぐらいのものですが、その中でも声を大にして言いたいのは、考える時に「誰が、何のために、どういう結果を求めてするのか」これをはっきりさせたい、ということです。これは企画屋さんが企画を立てる時には鉄則なんですね。話の流れで考えてしまった企画は、あとでかみ合わなくなってグズグズなったりするものです。

 

この問題は、いろんな人の立場や思惑が交錯しすぎて、目的が見失われたまま物事が進みがちです。また、今回たまたま、性暴力ゲームが取り上げられましたが、性差別や表現の自由という意味では、さらに広い分野に波及する問題かもしれません。

 

そんな時にも、必ず1度立ち戻って、誰がこの問題の当事者で、何が目的で、どうしたいのか、きちんと整理して考えたいものです。でないとですね、なんだかよく分からないうちに大きなものに流されて色んなことが進んでしまう、そんな風な気がします。

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